終末の過ごし方DVD(9.0)
2008年03月20日
<ストーリー>
――次の週末に人類は滅亡だ。
<CD-ROM版からの追加&変更点>
・音師 『矢野雅士』氏の手により、全ての曲をリマスタリング、高音質化!
・前作で256色だったCGがフルカラーに変更!
・バストアップのアンチエイリアシング処理に対応!
・価格がCD-ROM版から1000円安くなり、新価格6,800に!
・原画集『終末の過ごし方 オフィシャルアートワークス』の復刻改訂版(A4サイズ、112ページ)が同梱。
このホームページはアボガドパワーズより一部文章を抜粋しています。
素材の著作権はアボガドパワーズに帰属します。
<概要>
主人公は普通の高校生である。
終末宣言の混乱により両親とは別離し、交通手段は途絶、通信手段も壊滅に近い状態で終末の原因もわからない。
そんな彼が学校に通い続けながら最後の一週間で何ができるか、何をするのか、そして何が残るのか…。
その様を淡々と、しかしどこか優しく描く作品。
<購入動機>
大槻氏のシナリオと刺身定食氏の絵に引かれて。
<音楽・音声>
音声はなし。
当時は音声あるほうが珍しかったですし…。
DVD版でも音声は無し。
しかしこの作品においては、音声は無い方が良いかもしれない。
音楽は雰囲気に合った名曲が多いです。
特に「操り人形のワルツ」は題名ともに素晴らしい出来。
難点はCD音源での再生時にノイズの入る曲があること…残念。
<画像>
原画は小池定路さん。
淡いパステル調の絵で、雰囲気に良く合っています。
優しく穏やかに…、そんな絵です。
ちなみに女性陣はみんな眼鏡っ子^^;
<状況設定>
終末まで一週間、主人公は行く意味の無くなった学校に通い続けます。
通信・交通は半壊 or 全壊状態ですが、食糧難の様子はありません。
また伝染病などといった話も出てきません。
恐らく「完全な終末的状況」を回避するための設定でしょう。
これがあるために生存競争と言った状況は(少なくとも作中には)出てきませんし、主人公のように終末の実感が湧かずに、それまでのような日常を続けている人間がいてもあまり不自然さがないです(もちろん彼ら自身は理性で自分たちの行動[例えば登校]の無意味さを知ってはいますが…)。
また、前述のように終末の理由はわかりません。
これは登場人物たちの知識の限界を示すとともに、「危機を救うための行動」を起こさない、起こせない必然性を与えています。
ただ、そうなった一番の理由は、「設定することにあまり意味が無いから」でしょう。
このゲームにおいては終末的状況という舞台設定とそこでの「過ごし方」こそが重要なのであり、状況の解明は普通の高校生たる主人公にとって非現実的(あるいは不可能)であり、蛇足だからです。
<演出的特徴>
モノローグシーン以外は主人公も第三者的に描写されています。
また、主人公知裕を中心としながらも、サブ主人公のような重久、多弘の「過ごし方」も描かれています。
演劇的演出あり。
しかし序盤だけなので、どういう意図で入れたかは不明。
「客観的に眺める」という視点を強調しているのかもしれません。
ラジオのDJという形で、より広い範囲の終末状況を描写しています。
この中で暴動を起こす人々や自警団との衝突と言った行動する「過ごし方」が紹介され、結果知裕たちの過ごし方を浮き彫りにする効果をあげています。
<本作のテーマ・主張>
本作は、その名のとおり「終末」においてどのように「過ごす」(=生きる)のかをテーマとしています。
こういった終末モノは、主人公が危機に立ち向かって世界を救うというのが定番ですが、本作では終末的状況になじめない(どうすればいいのか戸惑いを覚えている)人間を主人公に据えている事に特徴があります。
本来なら、展開の都合上、ここから一念発起でもして行動を起こすところでしょうが、この作品の主人公の場合それはありません。
あくまで「日常的」な生活を最後まで続けます。
普通ならばこのように話が大きく展開しないのは物語としてマイナス要因でしょう。
しかしあえて、本作は非常事態の中の(あたかも終末などないような)「日常的」生活を描いているのです(これは行動や暴動を起こす人々が、ラジオ放送という形によりあくまで背景として扱われていることから明らかである)。
このような理解のもとにゲームを進めると、途中でふと気付くことがあります。
それは「終末的状況に立ち向かい危機を救う」という一般的な物語類型が、あくまで一つの「終末の過ごし方」に過ぎない、ということです。
当たり前のことですが、人々は「救われるから行動を起こす」のではなく、「救われるかどうかわからないが行動を起こす」のです。
それがわかった時、初めて本作の主人公たちの行動の意味や価値が理解できるようになるでしょう。
つまり、終末という状況の中で、今まですれ違っていた幼馴染みと理解しあえたり、昔の彼女とよりを戻したりして、終末を二人で迎えるという「過ごし方」も、ラジオに出てくる「暴動を起こす人々」の「過ごし方」と同じくらい、あるいはそれ以上に価値あるものなのかもしれない、ということです。
終末の最後の瞬間まで、救いを信じて(あるいは不安のために)争いの中に身を投じ続けるのと、すれ違っていた人と心通い合って死ぬのはどちらが「幸せ」でしょう…。
私は後者の「過ごし方」にも充分に意味があると感じます。
ただし本作は「過ごし方」の違いに優劣を付けようとしているわけではありません。
おそらくは、「終末的状況に立ち向かい危機を救う」という物語類型が横行して、等身大の「過ごし方」が軽視される中で、実は「争いの中に身をおかず、ただ近くにいた人と心を通い合わせようとすることは必ずしも『逃げ』ではなく、充分に意味・価値のある『過ごし方』だ」ということを伝えたかったのだと思います。
なお、本作に「滅びの美学」といった評価をするのは誤りだと思います。
知裕は重久に終末へ居合わせたことの不運を嘆いており、決して状況を肯定したり陶酔したりはしてはいません。
また、重久は『終末が救いと感じるなら、それは(終末による)逃げだ』と言っています。
彼らは静かに死ぬことに美しさを感じて選び取っているわけではなく、彼らなりの制約の中で静かな「過ごし方」にいたっているのです。
そこには「滅び」に対する憧憬や美しい死へのロマンチシズムといったものは無いと言えるでしょう。
<10点満点での総合評価>
9点
テーマ性と雰囲気においては他の追随を許さない素晴らしいゲームだと思います。
お気に入りのキャラ:敷島緑…終末に一人図書館で本を読み続ける姿が哀れであり可愛くもある
最後に一言:「10年経っても色褪せない不朽の名作。」
<review by ゲレゲレさん>
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2008年03月20日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:「し」美少女ゲーム
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